死にたまふ母
作者名 |
齋藤茂吉 (1882-1953) |
作品名 |
死にたまふ母 |
制作年代 |
1913 |
収載書名 |
『赤光』 |
刊行年代 |
1913 |
その他 |
『赤光』は、斉藤茂吉の第一歌集。
この連作は、その刊行の年の5月、郷里(山形県南村山郡金瓶(かなかめ)村、現在の上山(うえのやま)市)にあっての作。時に茂吉32歳、絶唱と言うべきかと思う。
岩波文庫版『斉藤茂吉歌集』(山口茂吉等編,1958)による(漢字は常用漢字体)。 |
はるばると薬をもちて来しわれを目守(まも)りたまへりわれは子なれば
寄り添へる吾を目守りて言ひたまふ何か言ひたまふわれは子なれば
長押なる丹(に)ぬりの槍に塵は見ゆ母の辺(べ)の我が朝目(あさめ)には見ゆ
山いづる太陽光を拝みたりをだまきの花咲きつづきたり
死に近き母に添寝のしんしんと遠田(とおだ)のかはづ天(てん)に聞(きこ)ゆる
桑の香(か)の青くただよふ朝明(あさあけ)に堪へがたければ母呼びにけり
死に近き母が目に寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな
春なればひかり流れてうらがなし今は野(ぬ)のべに蟆子(ぶと)も生(あ)れしか
死に近き母が額を撫(さす)りつつ涙ながれて居たりけるかな
母が目をしまし離(か)れ来て目守りたりあな悲しもよ蚕(かふこ)のねむり
我が母よ死にたまひゆく我が母よ我(わ)を生まし乳足(ちた)らひし母よ
のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり
いのちある人あつまりて我が母のいのち死行くを見たり死ゆくを
ひとり来て蚕のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり
楢(なら)若葉てりひるがへるうつつなに山蚕(やまこ)は青く生(あ)れぬ山蚕は
日のひかり斑(はだ)らに漏りてうら悲し山蚕は未だ小さかりけり
葬(はふ)り道すかんぽの華ほほけつつ葬り道べに散りにけらずや
おきな草口あかく咲く野の道に光ながれて我ら行きつも
わが母を焼かねばならぬ火を持てり天(あま)つ空には見るものもなし
星のゐる夜ぞらのもとに赤赤とははそはの母は燃えゆきにけり
はふり火を守りこよひは更(ふ)けにけり今夜(こよひ)の天のいつくしきかも
灰のなかに母をひろへり朝日子(あさひこ)ののぼるがなかに母をひろへり
蕗(ふき)の葉に丁寧にあつめし骨くづもみな骨瓶(こつがめ)に入れしまひけり
うらうらと天に雲雀(ひばり)は啼きのぼり雪斑(はだ)らなる山に雲ゐず
どくだみも薊(あざみ)の花も焼けゐたり人葬所(ひとはふりど)の天(あめ)明けぬれば
かぎろひの春なりければ木(こ)の芽みな吹き出づる山べ行きゆくわれよ
湯どころに二夜(ふたよ)ねむりて蓴菜(じゆんさい)を食へばさらさらに悲しみにけり
山ゆゑに笹竹(ささたけ)の子を食ひにけりははそはの母よははそはの母よ |
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